さて、生きるか
3回目の命日も過ぎ、いま真夏の暑さの中にいる。このまま流れにまかせて漂っていくのかな、なんて漠然と思っていたけど、少し追い風が吹いてきた。
留学話は結局なくなったけど、秋に配置換えがあって、大切な仕事を任されることになった。今の部署には、自分の体験を生かして医療問題をやろうと思っていたけど、組織再編のあおりを受けて、思い描いていたようなことはできなかった。秋からの仕事は、医療とは関係ないけど、Ayameが病気になる前から自分が長く取り組んできた分野だ。そういえばそのころは、このポストに就ければなあ、という希望を抱いていたことを思い出した。
病気になる前は、遠くの夢に向かって二人で励まし合って走っていた。それが病気になると、「来年の今ごろは、どうなっているのだろう?」というようにしか思考できなくなっていた。彼女が旅立ってからは、「いま、自分は何をすべきなのか」「生きるって、どういうことなのか」と、空回りする日々だった。きっとAyameが秋からのポストへ僕を導き、遠くを見ていたころの世界に引き戻してくれたのだろう。
そんな変化の予感を感じながら、昨日は横浜アリーナであった小田和正のコンサート「今日も どこかで」へ行った。小田さんのコンサートは、Ayameと大阪のフェスティバルホールで聴いて以来6年ぶり。3年前の夏は、武道館チケットを手に入れながら、行けなかった。彼女の三つの目標の一つだった。
一緒に行ったのは、リレー・フォー・ライフの活動で知り合った多似夢さん。肺の手術を終えて前日に退院してきたばかり。でも、コンサートに合わせて手術日を決めたらしい。僕よりも年季の入った小田和正ファンなので、傷の痛みを抑えながら、歌に聴き入っていた。
やはり涙なしには聴けない。「風のように流れていた」のときは、歌詞のなかにあるように「そのうたをきけば 淡い想いが 小さな出来事が あざやかに よみがえる」と、小田さんのTBS放送を食い入るように見ていたAyameの姿が思い浮かんだ。
うれしかったのは、僕が小田さんを聴き始めたころに大好きだった「夏の日」を歌ってくれたこと。どんな未来が待っているのかまだ何も知らなかった中学生のころだ。会場の大画面には、僕が見て育った湘南の海の映像も流れて、こころは自分の原点に運ばれていった。
いままで過去を振り返るのが怖くて、懐かしいという感情はどこかに忘れていた。これでようやく、痛みで歪んだAyameの顔ではなく、彼女の笑顔を思い出せそうだ。今日も、どこかで。
透きとおる 光が分け隔てなく
すべての人たちに 朝を運んでくる
その一歩を もう ためらわないで
誰かが きっと 受け止めてくれる
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